普通分娩へのコンプレックスと後悔の話
私は1人目は予定日超過で陣痛促進剤を使ったものの、子宮口が開いても赤ちゃんの頭がおりてこず。
ずっと使ってた促進剤の影響か私の血圧が上がってきたため、最終的に緊急帝王切開で出産しました。
帝王切開だったから悪いとも思っていませんし、帝王切開のお陰で母子とも無事に生きていられたのはわかっています。
ただ、それでも普通分娩への憧れがずっとあります。
今でも普通分娩で産みたかった気持ちがあります。
そんな私の普通分娩への憧れと帝王切開で後悔した所を書いてみます。
普通分娩をやってみたかったという気持ち
私は初めての出産時、ぎりぎりまで普通分娩でした。分娩室まで行ったので、立ち合い自体は旦那も経験してます。
最後の最後で赤ちゃんが出てこなくて、結局帝王切開になったので普通分娩も全く経験していない訳ではありません。
だけど…。普通に出産出来ていたら、産後そのままカンカンガルーケアで抱っこして写真を撮れたのかな、とか。
産後のあの痛みを感じなくて済んだのかな、とか。
旦那に1番に抱っこしてもらうことができたかな、とか。
思うことはあります。
子供の誕生日を決めてしまったこと。
帝王切開といえば、手術日=誕生日。
手術日もこちらで決めれるのではなく、私の病院では「〇曜日の午後」と決まっていたので、2人目は37週のその曜日での出産となりました。
出産日が決まっていることで「旦那に出産日に休みを取ってもらいやすい」というメリットもありますが、それでも誕生日をこちらで決めてしまったことに違和感は消えません。
子どもを予定より早く出してしまうこと
1人目は出産予定日を1週間すぎてからの出産となりました。
なので、帝王切開になったからといって特に子供に問題を感じることはありませんでした。
気になったのは2人目。37週での出産になりました。
上の子が41週まで出てこなかったので(出てこなくて促進剤使った)、下の子もそれくらいに生まれたかったのかもしれない。すると1か月も早く産んでしまうのはどうなのかな…。
帝王切開だから、生まれてからすぐケアをしてもらえるし、特に大きな問題もなかった下の子。
だけど、新生児期の体重減少が大きかったんです。
これが、早く産んでしまったことが原因だったなら申し訳なかったなあと思います…。(関係ないとは思ってますけどね)
産める人数が決まってしまったこと。
帝王切開は今は4人が限度らしいですが…。将来何か病気になって手術をするかもしれないし、ぎりぎりまで何度も帝王切開をするのもなあ。と思ったり。
帝王切開だと癒着の可能性もあるので、必ずしも4人産めるとは限らないし。
私は今、3人を帝王切開で出産してますが、3人目の妊娠の際も覚悟は要りました。
自分がもうこれ以上子供を持てないと思ったら急に、子だくさん家庭が羨ましく見えてきたりしました。
金銭面など現実的にこれ以上の子供は難しいのはわかっているんですが、「産めるけど産まない」と「産めないから産まない」では何となく気分も違うんですよね。
子どもも可愛いし、もうこれ以上子供は産めないと思うと何だかめちゃくちゃ寂しい…。
帝王切開を否定するつもりはないです
上に書いたような感じで、私は「普通分娩したかった」という気持ちがまだあります。
帝王切開自体を否定するつもりはありません。
帝王切開じゃなかったら、うちの子供は無事に生まれていなかったかもしれないし、私も死んでいたかもしれない。
世の中には「帝王切開なんて楽な出産をしたわね」なんて意地悪なことをいう人もいるようですが、幸いにも私の周りにはそんな人はいません。
ただ、普通分娩で産んでみたかったという気持ちが私にあるだけ。
帝王切開を3回したので、覚悟を決めて卵管結紮術(避妊手術)も受けました。
最後の子供である3人目を出産して、もうすぐ2年が経とうとしています。
それでも未だこんな気持ち(帝王切開コンプレックス)があるのは、子どもの友達に弟妹が生まれるのを見るかもしれません。
私ももう一度新生児を抱きたいなあ、もっと私の赤ちゃんに会いたいなあと思ってしまいます。
子供が大きくなって出産をしたことが遠い昔になったら、そんなコンプレックスなんてもう思い出さないかもしれない。
将来病気をして、手術をする時に癒着が発見されて「あの時帝王切開3回もしたから…」と後悔することがあるのかもしれないですけどね。
帝王切開は、「子供のリスクをママが引き受ける、立派な出産方法」というのを何かで見たこともあります。
自分が気にしなければ、そんなに悪い物ではないのだと思います。
それでも、私はまだ「普通分娩したかった」という気持ちが治まりそうにないのでした。